モヤモヤ〜セカンドオピニオン4

翌朝一番に掛かりつけのN病院へ。当方が希望する副腎はまた考えるとして、甲状腺のホルモン検査をしてもらうことに。同時に総コレステロールとALTの数値を確認してもらう。E病院で久々に尿検査をしたところ、タンパクが確認されたので、N病院へ尿サンプルも持参。

N先生は開口一番。「どうしましょうか?」昨晩と感じが違うのは気のせい?
「まず甲状腺のホルモン検査をお願いします」と言うと
「副腎もされるなら、ついでにやりますよ。半日預からせてもらいますが。」
一晩で態度が180°変わってるけど、まぁ良いか💦

副腎のホルモン検査は、まず血液を1回採取。副腎皮質ホルモンを投与して1〜3時間の時間をおいて、再び血液検査を行い、体内の副腎皮質ホルモン量の減少率を測るものだ。

基本的に副腎皮質ホルモンの量は体内で調節されるべきもの。しかし、ホルモンの過剰分泌が肝臓に影響を及ぼし、肝酵素の数値が上がることがある。肝臓の代謝が落ちて胆汁の流れが悪くなったり、またはステロイド肝症や肝炎を引き起こすことも。これらの場合は、通常ALPの数値も上がるのだが、ルーシーの場合は正常のため、掛かりつけでは除外されていた。

問題は、これらの場合によるALPの数値の上昇について、掛かりつけでは「絶対上昇するはず」、セカンドオピニオンをいただいたE病院では「稀に上がらないこともある」と意見が分かれていた。そのため、掛かりつけでは副腎はエコー検査の対象外になっており、E病院でのエコーで副腎のサイズが上限ギリギリであることが判明。なんとも判断が難しい状況となっていた。

腹腔鏡での組織検査についても、両病院の意見は分かれている。掛かりつけは、これまでに実施済みのエコーでの画像診断と血液検査の外には、組織検査しか原因を特定できる検査はないとのこと。E病院では、腹腔鏡検査に伴う麻酔や止血等にリスクがあり、その前に甲状腺と副腎のホルモン検査を行うべきだと。

そう、セカンドオピニオンで困るのは、その内容が相反する場合。技術的・専門的な部分については、飼い主は予備知識を持たず、ネットの情報や専門書を見て泥縄式に勉強するしかない。今回のルーシーの場合は単に検査のハナシだけど、進行性の病気――特に一刻を争う状態――の治療であれば、その猶予さえ与えられない。
そして、双方の病院が下した判断が、ルーシーの現在の状態や今後の体力減退や生活の質(QOL)を考慮しているかが、見えにくいこと。

個人的には、この半年で急速に老いたと日々感じている。相変わらず散歩を楽しみにしているものの、歩みは随分と遅くなった。ここ数か月で聴力も弱くなり、こちらの呼びかけにも反応しないこともしばしば。今年は冬の到来が比較的遅かったにも関わらず、10月から寒さを訴えるようになった。他のワンちゃんと引き合わせても以前のように瞬時に興奮したり、(あ)の陰に隠れたりすることも少なくなり、若いボーダーが走り回る姿を、少し距離をおいて眺め、時には興味を失って周囲のニオイ嗅ぎばかりすることも多くなった。

13歳半という年齢を考えると、残された時間は少ない。家族としては、この時間を、ルーシーに無理なく過ごさせてやりたいと考えている。多少余命が延びても、治療や検査で苦痛やストレスを負わせることは望まない。それならば、短くても笑顔で過ごせる時間を確保してやりたい。

掛かりつけのN先生は、普段から診てくれているから、ルーシーの体力が腹腔鏡での検査に耐え得ると考えておられるのだろう。また、これまで(あ)の意向は伝えているし、ある程度は理解して下さっていると思う。しかし、それでも獣医という生命を助ける立場であることは変わりない。よしんば検査で問題が特定されても、苦痛な時間を長引かせることになるだろうし、犬生の終盤という急速な流れを逆転させることは難しい。

そして、最後の問題は、掛かりつけの病院との今後の関係だ。
セカンドオピニオンを得た病院が、最新機器を備えた別の地域にある二次病院(大学病院や専門病院)ならばまだしも、同じ地域にある一次病院で同じエコー検査を行うとなれば、セカンドオピニオンの内容を掛かりつけに開示するには度胸が要る。

正直(あ)には、仁義に反する気がしてできなかった。掛かりつけのN先生を信頼しているし、最期までルーシーを診ていただきたいと思っている。信頼できる掛かりつけとの良い関係は、ペットの健康に直接的な影響を与えると、個人的には考えている。
「掛かりつけをセカンドオピニオンのE病院に替えたら?」という意見もあろうが、それは(あ)の選択肢にはない。

とはいえ、エコーの後は腹腔鏡による組織検査というのは一足飛びに思えた。その旨をN先生に伝えたところ「一足飛び、ではないですよ」ここが、専門家と一般の飼い主の認識の違いで、なかなか埋められないギャップなのだと思う。
「患者が人間ならね」と(あ)は心中でつぶやいた。