うまく説明できないけれど

 夕方、散歩の帰り道、あるワンちゃんの飼い主さんと出会った。ルーシーを我が家に迎えてから、(あ)は全く知らない相手とでも、お互い犬の飼い主ということで、構えずに話せることができるようになった。犬を飼うようになって、これは嬉しい発見だったし、この点だけはルーシーに感謝している。
 その飼い主さんは(あ)を呼び止めて、何やらしおりを取り出した。見れば、宗教関係の案内のようだ。
 「申し訳ないけれど、宗教には興味がありません。」(あ)は、こういう時はハッキリと言うことにしている。相手は、残念そうにしおりを引っ込めた。
 (あ)はキリスト教の信者ではないが、ミッションスクールに長年通っていた。だから、彼女の気持ちはよく分かる。自分に役立つこと、自分が大切だと主張したいことを、できる限り多くの知らない人に知って欲しい。しかし残念ながら、今の世の中では、宗教と知るや尻込みする人は多いし、それでなくても見ず知らずの人間に話しかけるきっかけが必要だ。だから、お互い犬の飼い主ということで、相手にアプローチをしてみよう。
 だけど、それはフェアだと思えないのだ−−−。
 実は(あ)は彼女の存在を他の飼い主さんから聞いて知っていた。なかなか知り合いを増やすことができないようだ。そこで彼女に直接ハッキリと伝えることにした。
 「少なくとも私は、あなたのアプローチの仕方が良いとは思えない」犬の飼い主さんは親切な人が多い。お互い犬を飼っていると思えば、心を開いて受け止めてくれる人が多い。だけど、すでに私たちには犬を信じる気持ちがあるのではないか?それを利用して、どんな宗教であれ、特定の宗教に勧誘するのはいただけない。
 「でも、私はそのためにドイツから来たのです。」
 うーん、確かに彼女にとっては大変だと思う。だけど・・・逆効果だと思うなぁ。
 そうは言いながら、一方で「じゃあミッションスクールと、どう違うんだ?」とも思う。ゆとりのある教育を売り物にして、信者でない生徒をミサや礼拝に参加させたり、カリキュラムに宗教の時間を組み込んでいる学校は多い。(あ)が通った学校は「信者になれ」などとは一度たりとも誘われたことはなかったけれど。
 でも、犬や飼い主の犬に対する気持ちを利用して欲しくない。なぜかは自分でも上手く説明できないけれど、不愉快な気分になる。彼女が自分にとって重要なことを他人に理解してもらいたいのであれば、相手がどう思うのかを知るべきだ。上手くいったかどうかは分からないが、直接彼女に説明したことだけは良かったと思う。