7月7日に想う

 2年前の7月7日、(あ)はロンドンにいた。ルーシーを我が家に迎える直前のことだ。「これが最後になるかもしれないから」と母にねだられ、一緒にイギリスとフランス旅行をすることになったのだが、旅の最初の拠点ヒースロー空港に降り立ったところ、地下鉄への連絡通路はシャッターが閉まっていて全線不通になっていた。ロンドン多発テロ事件発生の当日だった。
 始めは「ストライキかな?」くらいにしか考えなかった。ヨーロッパでは突然ストライキに入ることは珍しくない。でもイギリスで?まぁ、しょうがないか。
 期待していたアシが使えないから、しかたなくホテルまでタクシーを利用することにした。そこで運転手さんに事情を尋ね、初めてテロ事件のことを知った。事件は私たちが飛行機に乗っている間に起きたらしい。それでもフライト中にアナウンスはなかったし、空港の到着ターミナルにもテレビはない。第一、周囲でパニックを起こしている人など一人もいなかったのだ。
 母は怖いものナシの高齢者で、テロが起ころうが旅行を継続したいというので、翌日は念願のナショナル・ギャラリーに連れて行く。早起きして20数年乗っていなかったバスで出かける(地下鉄なら1本2駅先なんだけど)。開館時間までトラファルガー・スクエアをブラブラする。事件前日ここでは多くの人々が集まり、オリンピック開催の決定発表を喜んでいた。芝生には、まだ紙吹雪の残りが落ちており、皮肉なほどに静かな朝だった。
 交通機関が麻痺していながら、それでも人々は淡々とした表情で職場に向かっていた。さすがに事件翌日なのでナショナル・ギャラリーの開館は30分ほど遅れたし、入館時には持ち物やポケット内部までチェックされたけれど。(カバンの中に非常食のバナナを入れていたので、ちょっと恥ずかしかった。)
 アメリカの同時多発テロ阪神大震災などの後、パニックを起こし感情を露わにする人を多く見かけたり報道されたりしたが、ロンドンのこの事件に関しては、あまりそのような人々を見ることはなかった。
 利用できる交通機関の情報などをもらおうと、ホテルのコンシェルジュに行き「事件のことは本当に残念だ。」と言うと、「私も残念に思う。」と表情を変えずに応えた。「貴女は大丈夫?」と訊くと、少し笑って「ありがとう」と応えた。
 ロンドンの人たちは、自分たちが怒りや混乱を露わにしたらテロリストを喜ばせるだけだと思っていたようだ。平静でいることがテロリストへの抵抗だと彼女は言う。すごい精神力だなぁと感心した。
 2年を経た後、イギリスはふたたびテロの標的にされている。前回ほどの被害は出ていないが、日常の暮らしを送りながら、いつ、どこで、誰に攻撃されるか分からないという恐怖にさらされている。人々は平静でいようと努め、毎日職場や学校に向かい、いつもの生活を送っている。私たちはテロなど卑怯な行為が珍しくない社会に生きている。お互い頑張ろうと声をかけたい。