「アナタの犬を信じなさい」は正しいか

 夕方、F公園で時々出会うワンちゃんの訃報を聞いた。ルーシーよりも随分若い小型のワンちゃんだったが、他の犬と走り回るのが大好きで、子犬の頃のルーシーに似ていた。
 若さと生命力と毎日が楽しくてしかたがないといった笑顔と。このワンちゃんに出会うたび「ルーシーも年をとったなぁ」と思ったものだ。こちらとしては、ちょっと寂しいような、それでいて嬉しいような気分だった。
 ルーシーはと言えば、子犬時代の自分については、きれいさっぱり忘れてしまったようで、「遊ぼう」と誘われても相手を買って出る殊勝さはなく「ワシはボール遊びで忙しい」「ま、追いかけるならエエけど、ジャマせんときや」という感じで無視していた。それでも、このワンちゃんは、ピョンピョンと跳ねるように芝生の上を駆け回っていた。
 それが、突然の交通事故で亡くなってしまったという。飼い主さんも一生懸命追いかけて呼び戻そうとしたが、間に合わなかったらしい。訃報を聞いた他の飼い主さん達は、一様に信じられないという表情を浮かべていた。一体、この子は最期に何を考えていたのか?車を追いかけたのか?それとも何か他の動物を追いかけたのか?
 誰も、それは分からない。そして、それを考えてもしかたがないのだ。辛いけれど。
 (あ)は、自分とルーシーを信用しないでおこうと思っている。何年シツケ教室に通おうと、何万回、呼び戻しの練習をしようと、実生活で呼び戻しが本当に必要な状況では、ルーシーは本能全開の状態で、飼い主の声が耳に届かないだろう。こちらだって、事態に仰天して声さえ出ないかもしれないのだ。
 「アナタの犬を信じなさい」とアドバイスしてくれる人は多いけれど、犬や自分自身を信用して、絶対に失敗してはいけない時に失敗するよりは、信用しないで危険回避に気を配った方が、ずっと効果的だと思うのだ。これが、3年近くルーシーを飼ってきて得た教訓だ。
 彼女は1歳という若さで逝ってしまった。どんなワンちゃんだったかを書くのは簡単だが、このブログを読んでおられる方に同じような事が起こらないようにしたい。飼い主さんも、こう考えられるのではないだろうか?
 最後に「短い間だったけど一緒に遊べたね。今度会う時は、またルーシーを追いかけてね」と言いたい。合掌。