情報提供と説明責任

(あ)はチェルノブイリ原発事故の際、ロンドンに住んでいた。我々が事故のことを聞いたのは発生から数日後。イギリスのメディアは全く報じていなかった。
 当時は冷戦時代。ロシアの事故は、アメリカの軍事衛星がとらえ、アメリカのニュースを受けて日本のメディアが国内で報じ、それを見た人がロンドンに住む恋人を心配して電話をしてきて、初めて我々が知るところとなった。その前日、ロンドン市内に雨が降った。「傘なんか要らないよ」というイギリス人の友達に付き合って、(あ)は傘を持参しなかったものだから、しっかり雨に濡れてしまった。事故のニュースを聞いた時にぎょっとした。幾分か放射能を浴びてしまったかも。
 イギリスで事故のニュースが報じられたのは、我々が知ってから3日後。どうやらイギリス政府はロシア政府の公式発表を待っていたらしい。イギリス国内で大騒ぎになったのは発生から1週間近くが経過した頃。手を打つには遅すぎた。国会では野党が与党を突き上げてはいたが、形式的なものだった。自分たちだって何をすべきかも分からなかったのだから。
 その様子を、我々はかなり冷ややかな目で見ていた。「外交上の問題があったとしても、相手国の正式発表がなかったとしても、こういう国民の健康や安全を直接左右する情報については、政府がもっと早く国民に提供すべきだったのに」と思ったのを記憶している。分かってさえいれば、みんな外出を控えていただろうし、外出するにしろ傘を持っていっただろう。被爆への不安は軽減されたはずだ。
 一方、福島原発の一連の事故の様子を見ていると、我ながら「あの時の考え方は正しかったのかなぁ」と疑問に思うようになった。
 特に東電の発表が二転三転し、どれが事実なのか分からなくなって、一番の被害者で避難を余儀なくされた人達が、発表の内容を理解できずに振り回されている状況。当事者は当然説明責任を負うべきなんだけど、しっかり確認した事実ではないのに「・・・と思われる」というレベルの情報を矢継ぎ早に出してくる。受け取る側が混乱をきたすような情報提供で、きちんと説明責任を果たしたと言えるのだろうか?
 地震津波の被害に遭い、生活必需品や燃料さえ手に入らない状況にある人達には、二転三転する情報に振り回される余裕はないはずだ。余震が続き心が休まるヒマもなく、家族や仕事や家など不安の種は尽きない。精神的にもギリギリの状態の人間にとっては、これほどの打撃はないと思う。
 明日は寒波が再来するとか。せめて体を温められる場所に避難して欲しいと心から願っている。


↑スミレが咲き始めました。