ペットを大事にするということ

 昨日の夕方、久しぶりに、ある飼い主さんに会った。足元に小さな小さな子犬。
 この飼い主さんは、数カ月前に愛犬のシェルティを亡くされたのだが、本当にこの子を可愛がっておられた。訃報を聞いた飼い主の間で「お父さんは大丈夫だろうか」と心配する声が上がるほどだった。
 ワンちゃんが元気な頃は、お父さんは仕事が早く終わると直ぐに帰宅して散歩に出かけていた。F公園の芝生の上で、ワンちゃんの肩を抱くようにして座っている姿をよく見かけた。当時、(あ)とルーシーは、周囲に迷惑をかけない時間を狙って散歩に出ていた。いつまで経っても落ち着かないルーシーに疲労していたので、この飼い主さんとワンちゃんが、芝生の上でゆったりした優しい時間を過ごされている姿は、本当にうらやましかったのを覚えている。
 自宅では文字通り寝食を共にしていたそうだ。ワンちゃんが体調を崩した際、お父さんは看病のために勤め先に配置転換を願い出た。周囲からは「出世を棒に振る」「会社を辞めた後の将来のことを考えてのことか」と疑問の声が上がったそうだ。それでも、お父さんはワンちゃんの世話がしたかった。「もう良いですわ」と言って、決断を翻すことはなかった。「(ペットのために配置転換なんて)理解できる人はいないよね」と、お父さんは笑っておられた。
 最後の1ヶ月は大変だったそうだ。それでも、お父さんは、できる限りワンちゃんの側にいて看病された。最後の一日。お父さんが仕事に出ようとしたら、ワンちゃんが鳴いた。それが頭に引っかかって、お父さんは会社を早退して帰宅。お父さんの留守中、お母さんがワンちゃんのオムツを替えようとしたら噛み付かれたそうだ。「自分の最期がこの日だって判っていたんでしょうね」と、お父さん。
 お父さんに介抱してもらいたかったんだろうなぁ。そこまで大切にされていたワンちゃんを亡くされて、大丈夫でしたか?
 「今でも、(ワンちゃんのことを)忘れられないですよ。子供のことより覚えてますもん」
 「1ヶ月ぐらい、ものすごく落ち込んでました。」
 そこまで尽くされても、亡くなったら、やっぱり落ち込むんですね。
 「寂しいです。ものすごく寂しい。」
 「でも、悔いはありません。」
 晴れやかな笑顔だった。足元で子犬が後ろ足で立ち上がって、ルーシーに「遊んで〜♪」と熱烈アピール。その度に、ルーシーは(あ)の背後に隠れようとする。(あ)が代わりに「あの子の分も元気で長生きして、可愛がってもらうんだよ」と話しかける。
 「たまたま別の用事でホームセンターに行ったら、ペットショップに、この子がいましてね」
 「他の子達は寝ていたんですけど、この子だけ、私を見てオスワリして尻尾を振ってたんですよ」
 亡くなったワンちゃんが巡りあわせてくれたのかしら?
 「まだ家に来て4日目なんですけど、ものすごくゴンタですわ。」
 お父さんは目を細めておられた。なんだか嬉しそうにも見えた。
 挨拶をして別れる時に、お父さんが
 「(ルーシーのことを)大事にしてあげてね」と何回も繰り返された。


 ここまで愛犬のために尽くされた方の言葉は重みがある。
 このお父さんと同じことは到底できないだろうなぁ。それでも、
 「何ができるかわかりませんけれど、できる限りのことはしてやろうと思っています」

 自分でもビックリするくらい真面目な返事をしてしまった(笑)。そして、ルーシーはなぜか満面の笑顔で(あ)を見上げていた。
 別れて歩き出してから、ルーシーに「今のハナシは車のことじゃないよ」と付け加えた。すると、ルーシーは「わかってますがな」と歩きながら鼻でタメイキをついた。