TV番組

 TV番組『21頭の犬達たち ふるさとへの旅』を見た。
 震災後、被災地域の飼い犬たち30匹が、岐阜にある犬の介護団体に一時的に預けられた。当時、預ける側も、預けられる側も「一時的な措置」と考えていたが、飼い主と離れ離れの生活は2年間に及ぶ。幸運な犬は、この間に飼い主に引き取られた。しかし、中には預かり後、飼い主と再会することなく、この世を去った犬もいるという。
 預かった団体は、これらの犬を「里帰り」させることにした。しかし、ふるさとである飯舘村は、未だ汚染地域であり、立ち入りが制限され、元の住民も、なかなか自分の家には帰れない状況だ。里帰りの時間は、わずか3時間。犬は飼い主と再会後、再び岐阜に戻される。
 犬達は飼い主と出会えて、一様に喜んでいた。しかし、何か落ち着かない。知らない場所に連れて来られたような態度である。
 ある子は、家に連れて行ってもらっても、何かが違うと感じていた。毎日お父さんと散歩したコースを辿って、ようやく落ち着きを見せた。
 また別の子(クリちゃん)は、被災前は、仕事をするお父さんと一緒に山に入って走り回る生活を送っていた。元の家族と喜びの再会を果たし、お父さんの軽トラをすぐに見つけてみせた。しかし、懐かしいはずの我が家は、もはや落ち着ける場所ではなくなっていた。軽トラの荷台に乗ろうとする。
 クリちゃんの飼い主さんは語る。
 「飯舘村に帰ってきて、自分の(クリちゃんの)ふるさとは、飼っていた俺たち2人と軽トラックだけだった気がした」
 「俺たち2人がいて軽トラックがあれば、クリは岐阜に行っても、それがふるさとだと思うんだけども。飯舘村がふるさとでは、もうクリはないのかな、記憶に」


 2年という期間は、人間にとっても長いが、犬にとっては、もっともっと長い。

 犬の人生は人間のそれよりも、ずっとずっと短いからだ。

 それでも犬は、環境の変化に耐えて、じっと待っている。

 「あの事故がなければ」と、つくづく思う。本当に人間は罪深い。

 あの事故で一生を大きく狂わされた人達がいる。そして、それは傍らにいるべきペット達も同じなのだ。
 短い再会を終えた犬達は、再び車に乗せられて岐阜に戻る。2年間の集団生活により、皆、すっかり従順になっていた。スタッフに促されるままに、車内に戻っていく。最後まで見送る飼い主の方を振り返ることもない。人間に翻弄されるのが自分の運命だと達観しているかのようだった。
 犬達の小さな後ろ姿を見るだに、彼らが再び飼い主さん達と一緒に生活できる日が早く来るようにと願わずにはいられない。