犬と小学生

 最近、小学校の下校時刻にかち合うことが多い。いつも「これで良いのかなぁ?」と思うことがあるので、書いてみようと思う。
 ルーシー地区では、自動車やバイクが乗り入れない遊歩道は、通学路としても利用されている。これに面して立っている家で、和犬を飼っておられるところがある。犬は、普段は屋内にいて、天気の良い日は庭に出してもらうようだ。
 ルーシーを連れて遊歩道を歩くと、犬が庭に出されている時は、必ずと言って良いほど吠えられた。庭の地面は遊歩道と50センチと高さが変わらない。犬は、遊歩道に面した扉の下からマズルを出して、通行する者をチェックしているらしい。ルーシーは、若い頃は何回か応戦しようとしたが、こちらが、あらかじめ注意するようになってからは、急いで、その場を離れるようになった。相手が実際には自分に攻撃して来ないと分かっていても、吠え立てられるのは嫌なのだろう。
 ほどなく、扉の下の隙間に、水が入ったペットボトルが置かれ、犬は遊歩道の様子を窺うことができなくなった。また、柵には簾のようなものが立てられ、庭側からも遊歩道からも目隠しが施された。
 暖かくなってきて、犬は再び庭に出されるようになった。そして、下校途中の小学生に対して、犬が吠えかかる声が、遠いところからでも聴こえるようになった。
 小学生が数人、柵の前に集まっていた。目隠しの下から庭の様子を覗きこんでいた。口々に「ワンワン」と言いながら、敷地の幅を右へ左へと繰り返し走る。1人の子供は持参していた傘で目隠しを叩く素振りをしていた。
 実際には目隠しを叩いてはいない。しかし、目隠しは簾のようなものなので、何かが動いているのは犬も感じとっていただろう。犬が、狂ったように吠えるのも無理はない。自分のテリトリーを脅かされ、要らぬ恐怖刺激を与えられ、興奮させられているのだから。
 傘を持った女の子が「ウルサイ!ウルサイ!」と言って、目隠しの側で傘を振り回す。犬はますます興奮して吠える。
 ―――これで良いのだろうか?
 同じ場所を通る度に自問するけれど、答えは出ない。
 まず、犬は悪くない。
 和犬は基本的に番犬として作られた犬種である。テリトリーを守り、侵入者を警戒し、侵入者の存在を吠えて飼い主に知らせ、または侵入者に攻撃して排除することが、長きにわたり彼等に与えられた任務であり、存在理由だった。今では、遺伝子レベルで組み込まれた本能となっている。
 飼い主としては、家が人通りの多い歩道に面していることから、番犬として庭に置きたいと思っていただろう。犬が通行人に危害を加えないように目隠しや柵を施している。注意義務を怠っているとはいえない。
 小学生は「犬と遊んでいるだけだ」と思っているだろう。自分達が、犬の恐怖心を煽り、追い詰め、少なからず吠えや攻撃性を強化しているとは理解していない。犬について理解していないのが原因だ。
 しかし、犬の吠え方や攻撃的な態度を見ると、年々ひどくなっている気がする。ストレスが、必要以上に大きくなっているのではないだろうか?
 犬は庭から遊歩道に出ることはないだろうから、危害を与えることはないだろうけれど。
 それでも(あ)には、現状が正しいとは考え難いのだ。
 むろん、誰も悪意があって、このような状態を引き起こしているのではない。犬には犬の、飼い主には飼い主の、小学生には小学生の思惑がある。ただ、すれ違っているだけ。
 ちょっとした工夫で、犬のストレスを減らしてやれるのではないだろうかと思う。
 飼い主が、小学生の登下校時間以外に、犬を庭に出すようにしたら?
 学校側が、小学生に犬との接し方について教えてあげたら?
 小学生が、吠える犬を完全に無視してやったら?
 それだけで、犬のストレスは、かなり減ると思うのだが。
 毎回、そう思うのだけど、ルーシーと小走りで通り過ぎるしかない。我らが、その場に留まること自体が、この犬にとってはストレスなのだ。
 この犬は単に与えられた仕事をしているだけだ。ともかく、そのことだけは書いておきたい。