ルーシー、沼に入る

 「ササミで呼び戻し」週間は初日で頓挫してしまった。ルーシーは、完全にダークサイドにいる。
 少し早めに公園に入って、他のワンちゃんがいない間に「呼び戻し」練習をしようとしたのだが、さくらちゃんに出会ってしまった。
 以前も書いたが、甲斐犬のさくらちゃんは、スピード・ランナーであるとともに、自然が大好きだ。F公園の端にはビオトープ(別称「沼」)があり、その向こうに斜面がある。追いかけっこで気分が高揚すると、さくらちゃんは「良いところがあるよ。一緒に行こうよ」と相手を誘う。そして、沼に入って体がドロドロになる。
 今までにも追いかけっこを何回かしているが、ルーシーは沼に入ったことがなかった。一つには、さくらちゃんのスピードについていけなかったから、また、ズルをして芝生の上に残っていれば、さくらちゃんが戻ってきてくれたからだ。
 さくらちゃんが賢いのは、自分がスピード・ランナーであることは充分知っていて、相手が自分を捕まえられそうな距離を、わざと保ちつつ逃げる。そして、山の方向に相手を少しずつ誘導することだ。通常どんなワンちゃんとでも、犬同士の追いかけっこは、芝生の上にいる飼い主の周囲を、円を描いて走るところから始まる。大体は、飼い主の姿が見えないところへは行かない。さくらちゃんとの「対戦」の場合は、その円が少しずつ大きくなり、芝生とビオトープの境界にある生け垣を超えてしまう。飼い主が必死に呼び戻しても、その声は生け垣の向こうには届かないのかも。

 ルーシーは、しばらくズルをして、生け垣のところをウロウロしながら、さくらちゃんが戻ってくるのを待っていた。しかし、(あ)の必死の呼びかけとササミのごちそうもむなしく、さくらちゃんを追いかけて行ってしまった。
 まだ半抜糸の状態なのに、シャンプーをしないといけないの?いつかは沼に入るとは思っていたけど、最悪のタイミングだぞ。
 そんなことを考えながら(あ)がビオトープの土手にたどり着くと、なぜかルーシーは木の橋から上半身を沼の中に突っ込んでいた。そして、オレンジがかった茶色の水の中には、さくらちゃんがいて、水を美味しそうに飲んでいた。
 (あ)が何回呼んでも戻ってこないのに、さくらちゃんのお母さんが「ルーシー」と一声かけたら、一目散に戻ってきた。本当にむかつく。
 見れば、足の先が少し汚れているくらいだった。ドロドロ被害は、さくらちゃんだけか?とことん要領の良い奴である。さらにむかつく。
 さくらちゃんは、食べ物では呼び戻しはできないそうだ。食欲より遊びを優先させるのだろう。しかしルーシーはと言えば、さくらちゃんのお母さんに飛びつきながら、「ちゃんと指示通り戻ってきましたよ。ご褒美ちょうだい」と、ねだっていた。怒りで脳の血管が切れそうだったが、抑えてルーシーを連れて帰る。今日は耳掃除だからね。