今週は(た)が出張のため、ほぼ母子家庭の我が家である。おかげで(あ)の腰痛はひどくなったが、ルーシーの要求吠えが減った。少なくとも夜中に要求吠えはしない。やはり甘えられる相手がいるのと、いないのでは、犬の態度が違うようだ。
 それでも、反抗期を迎えた犬と鼻面を付け合わせて生活するのは、なかなかにストレスがたまる。昨日の朝は、(あ)が監視する中、ルーシーはトイレシートで大をしたのだが、用を足した後、素早くカケラを口にして食べようとした。以前は食糞はしなかったのに。早速捕まえ、体をひっくり返して、首根っこを押さえつけ、大きな声を出して怒ったのだが、当の本人が理解できているかどうかは、はなはだ疑問である。食に関しては、人間が教えても、犬が指示に従うことは少ないらしい。自分が「美味しくない」と思わない限り、止めないかもしれない。
 成功率が80パーセント近くまで改善した呼び戻しも、今日は失敗して、ルーシーは沼に入ってしまった。足が若干汚れていた程度だけど。それでも「噴水の刑」と「シャンプーの刑」に処すことにした。春になってマムシが出てくる前に、沼に近づかないようにするためだ。
 しかし誤算があった。噴水の水が抜かれてしまっていたのだ。噴水前で足を踏ん張って、入るのを嫌がっていたルーシーも、足が若干濡れただけだったので「へへっ、大丈夫だもんねー。」と、余裕の笑みを浮かべていた。むかつくー。
 家に連れ帰り、シャンプーする。ルーシーは、自分の所業を棚に上げて逆ギレし、歯を剥いて抗議した。結局、風呂場で取っ組み合いの大げんかである。今回は(あ)も流血も辞さない構えで、ルーシーに立ち向かった。(あ)が大声を出したら、風呂場の壁に反響して、ルーシーも一瞬で恐怖の表情を浮かべた。その一方で、自分の怒鳴り声で頭が痛くなってしまった。やれやれ。いつまで、こんなバトルが続くのだろう?
 知り合いの飼い主さんには「子育てと同じよ。手がかからなくなったら、寂しくなるものよ。」「大人になって手がかからなくなった時に、飼い主にとって、この時の思い出が宝物になるの。」と言われている。(あ)には子育ての経験がない上に、ルーシーが大人になって、将来手がかからなくなるとは、全く想像できない。一体、そんな日が来るのだろうか?
 女手一つで育てた娘がグレてしまい、必死に更正させる親御さんの気持ちが、少し理解できた気がする。そんな暗闇を手探りで歩くような一週間だった。