考えたくないけれど

 「足があって良いなぁ」ショボショボと降り続ける雨の中、ルーシーを連れて夕方の散歩をしていると声をかけられた。何のことか分からず立ち止まって見ると、時折見かける飼い主さんだった。
 この飼い主さんは足が若干不自由らしく、普段見かける際には、杖をついておられる。杖をつきながら黒ラブを連れて、ゆっくりと歩いたり、F公園の入り口にある四阿で休憩されているところに、出会うことが多い。しかし、ルーシーが相手に飛びつきかねないので、(あ)もせいぜい黙礼するくらいで、きちんと挨拶できないでいた。すぐ側には小学校があるので、下校中の小学生がワンちゃんの頭をなでながら、この飼い主さんとお喋りをしている姿は、世の中で物騒な事件が起きている昨今、とてもほほえましく感じていた。しかし、今日は黒ラブの姿はなく、飼い主さんがお一人だった。
 「ごめんなさい、私の犬は三本足だから。」聞けば、いつも連れておられる黒ラブちゃんは前足の関節が骨肉腫にかかり、放置しておけば肺に転移してしまうことが分かったそうだ。そして、肺に転移した場合、ワンちゃんは大変な痛みと闘うことになると言われて、肩から足を切断せざるを得なかったとのこと。
 私たちが住んでいる地域は開発されて二十年弱なので、開発当時にここに家を構え犬を飼い始めた方達にとっては、ここ数年は身近なところでペットの死に遭うことが多い。ルーシーはまだ一歳にも満たないけれど、いつかは私たちも、この飼い主さんのように難しい決断を迫られる日が来るだろう。その時、きちんと現実を直視できるか?少なくとも(あ)には自信がない。
 例えば、このワンちゃんのケースを考えてみる。原因がはっきりしていて、今対処すれば命は永らえることができるかもしれない。その一方で、足を切断したら確実に走れなくなる。今のところ、ルーシーが一番幸せそうなのは、他のワンちゃんと走り回っている時だ。その楽しみを奪って良いのだろうか?しかし、犬は現実を受け入れる動物だとも聞く。足が不自由になったからといって、人間のように嘆いたり悲しんだりせず、ありのままの自分を素直に受け入れられるとか。足を切断して走れなくて一番悲しいのは、ルーシー自身ではなくて、自分じゃないだろうか?
結局のところ、堂々巡りで結論が出せない気がする。