大丈夫だから

 飼い主の「大丈夫だから」という言葉ほど、アテにならないものはない。少なくともルーシーは、そう考えているようだ。
 雨が降り出す前にと、朝の散歩は長めのコースを歩く。途中でピーターXとマイケルに出会う。ピーターくん、マイケルくんともに、非常にフレンドリーなワンコである。確かに二匹とも、男の子に対しては、ライバル意識のせいかチェックが厳しい。しかしルーシーについては、チビの頃から知っている。加えて、ルーシーが、これらのワンちゃんに意地悪をされたことも、イヤなことをされたこともない。それなのに、今朝のルーシーは二匹を前に、なぜか尻込みして近づこうとしない。不思議に思った(あ)が「ルーシー、ピーターとマイケルだよ。大丈夫だから。」と言い聞かせるが、本人は道の真ん中で伏せをしたまま、動こうとしない。あちらは尻尾を振り、熱烈歓迎モードだというのに。ピーターくんは、自分も伏せをして尻尾を振って、ルーシーを待ってくれている。「大丈夫だよ。怖くないよ。おいでよ。」と言ってくれているようだ。マイケルは、ブンブンと音がするくらい尻尾を振ってくれている。それなのに、ルーシーときたら、ズルズルと(あ)を引っ張って後退するばかり。
 ルーシーは、二頭立てのワンちゃんが苦手なのかも。ピーターくんがお母さんと、またはマイケル君がお父さんと散歩している時は、自分から挨拶に行くもんなぁ。先日のウェスティの子たちも、そういや二頭立てだった。自分がリードにつながれていて相手が二匹だと、自分が一匹に対応している間に、もう一匹が背後から攻撃してくるかもしれない。ルーシーは、それを恐れているのか?しかし、こんなに拒否反応を示すほど、本人が二頭立ての誰かにイヤな思いをさせられたことが、あったっけ?
 (あ)の記憶が正しければ、そういう経験は全くない。ただし一つだけ心当たりがある。嫌がったり、ためらったりしているルーシーを促す時、(あ)は決まって「大丈夫だから」と言うクセがある。動物病院の診察室に入る時、シャンプーをする時、ドライヤーをかける時、このセリフを言ってしまう。どうやらルーシーは、(あ)が「大丈夫だから」と言う時は、自分にとってイヤなこと、我慢しなければならないことが起こると、理解しているらしい。ルーシーに何かを我慢させる場合、(あ)は後でルーシーを盛大に褒めて、ご褒美をあげることを忘れないようにしているのだけど、それでは不十分ということか?
 はっきりとした理由がないけれど「怖いな。大丈夫かな?」と一瞬考えている時に、(あ)が「大丈夫だから」と言うと、ルーシーにはダメ押しに聞こえるようだ。つまり「これからイヤなことが起こるぞ」と聞こえていて、本当に大丈夫な場合でも、とりあえず逃げようとする。(あ)がルーシーに心強い励ましを与えようと思って、かけている言葉は、実は逆効果になっているのかも。困ったヤツだ。
 ルーシーは、肉球の間の毛と飾り毛が伸びてきて、フローリングの廊下で滑るようになってきた。そこで、(あ)はハサミで少しトリミングしてやることにした。足を捕まれて、ルーシーは例のごとく、鼻面に皺を寄せ歯を剥く。見慣れないハサミを手にした(あ)を、いぶかしげに見ている。敏感な部分に生えた毛をジョリジョリと切られて、ルーシーの不快感は最高潮に達した。噛んではいけないと分かっていながら、(あ)の手に歯を当てようとする。
 「ルーシー、平気だから」「痛くないから」「チャッチャと終わるから」「ルーシー、リラックス」決まり文句を使うから、相手に反対の意味と誤解され、警告と受け取られてしまうのだ。こうなったら、持てる語彙をフル活用して誤解されないようにするしかないか。