ある黒ラブの物語

以下は、アスペン・タイムズ紙に寄せられた読者の投稿である。梅雨のうっとうしさを払拭する面白さだったので紹介したい。
「サイコ・ポーの大冒険」アリソン・バークレイ
昨日、飼い犬がいなくなった。「願い事をするなら慎重に」とよく言うけれど、私もそれは正しいと思う。アスペンの住民は、サイコ・ポー(PP)が、全く悪夢のような犬だということを知っている。彼は多くの騒動を引き起こし、彼の捕獲のために「この顔にピンと来たら110番」というポスターまで作られていることも、私は知っている。これが一つの理由となって、私たちは現在スティームボートにある両親の家に潜伏しているのだ。
彼は、私の家のあらゆる窓やドア、ブラインド2セットを破壊してきた。私のオンボロ・ジープを破壊し、ドアをボロボロにして、窓ガラスを粉々に砕いた。ご近所のお利口なワンちゃんを攻撃し(相手のワンちゃんの治療代には360ドルもかかった)、訓練所でも多くの被害を与えている。アスペン動物保護センターでは、古いところでは、チェーン付きフェンスを、新しいところでは窓ガラスを壊している。実際、アスペンに住む私の隣人からはメールをもらっている。「貴女がいないのは寂しいけれど、貴女の犬はいなくても良い」
この犬が今まで生き残ってきた唯一の理由は、私の父が精神科医であり、無料で薬を与えることができるからだ。多くの場合、薬は有効だった。しかし不思議なものや美しいものにありがちだが、見えないところに欠点があることは否めない。
だから、PPがいない生活を時々思い描くくらい良いではないか?どこか遠いところで長い休暇を過ごし、都会の小さなアパートで白い家具と明るい色のラグに囲まれて住み、クリーム色の革の内装を施した外国製のスポーツカーに乗り、誰かに訴えられることを全く心配しなくて良い生活!
PPがいなくなったのは、私は両親とともにマウンテン・バイクに乗り、目の前に現れた急な下り坂に気をとられていた時だった。しかし、PPに良い点があるとすれば、それは脱走しないことだったので、彼がいなくなっても、私はさして心配はしなかった。PPの唯一の生き甲斐は、私の側にいることだからだ。窓やドアが破壊されたのは、私が彼を家に置いて独りで出かけた時ばかりだった。脱走したとしても、私が家に戻るまで、いつも駐車場に座って待ち続けるのが常である。ある日デンバーの友達を訪ねた際、私は友達とショッピングに出かけた。彼女のダンナさんが家にいたにもかかわらず、PPはフェンスを飛び越え敷地の外に出て、私の車の前で6時間も座り待ち続けた。(略)
「きっと車のところで待っているわよ」今回いなくなった時、私は両親に対して、自信たっぷりに言って見せた。「ま、もっともいなくなったらラッキーかもしれないけど」PPが私に対して尽きることのない愛情を注いでいることは、特に私がオールドミスである事実から、家族の間で常にジョークにされていた。
日が沈み始めても、PPの姿は見あたらない。時間の経過とともに胸が苦しくなり、PPを探しながら彼の運命を思い描きながら、スティームボートの下町通りを歩いた。あの犬は壊れやしない。私は自分に言い聞かせ続けた。彼が引き起こした大混乱の中で、木だろうが、ガラスだろうが、肉だろうが、あらゆるものを噛みくだき、それでも全く無傷でいられたではないか。(略)
次の日、私たちは探し犬のチラシを使った大規模な捜索を始め、町だけでなく、昨日たどった道をもう一度自転車で巡ることにした。(略)「PPは、私にとって生涯たった一人の男だったのに!」「唯一いつでも側にいてくれる男だったのに!」
PPの捜索をあきらめかけていた時、子供を自転車の後部に乗せた人と出会った。
「黒いラブを見ませんでしたか?」
「いたよ。あそこの低木の下に座り込んでいたよ。とても疲れた様子だった。」
私が口笛を吹くと、PPが走って姿を現した。幾分ボーッとした感じだったが、それ以外は全く健康そうだ。ああ、神様!私の可愛いお荷物さん、私のゴージャスなモンスター!!PPに対する愛のように、無条件なものがあろうか!!
そうね、撤回するわ。今までアンタがいなくなったらと冗談で言ってきたけれど、決して本気じゃなかったの。死が二人を分かつまで、いや、ず――――っと一緒にいたいわ。