書を捨てよ、ルーシーと散歩に出よう

 などと書いたらテラヤマ先生に怒られるだろうか。しかし、(あ)は実体験で本当にそう思うのだ。
 ルーシーが我が家に来る前、(あ)は自分の人生について「これで良いのか?」と悩んでいた。いわゆるmid-life crisisというやつかもしれない。子供もなく、通いの仕事を辞めてフリーランスになって、それからの仕事がようやくある程度の評価を得るようになった。その一方で、期待した以上に仕事に広がりが生まれるでもなく、一回依頼を断れば二度と依頼が来ないのではないかという不安があり、どうも安く使われているだけのような気もする。このままじゃ仕事も中途半端だし、私の人生で何も残せないなぁ。このまま年をとって本当に良いのかしら?(あ)は、昔から小さなことを「あーでもない、こーでもない」と悩む傾向があったのだが、悩みが泥沼化して抜け出せない状態の時に、縁があってルーシーが家にやって来た。
 以前からの悩みは全く減らない。ルーシーを育てるという別の悩みが加わっただけだ。ところが、以前よりもよく眠れるようになった気がする。ルーシーが家に来る前は、頭と体の疲労度が極端に違っていたため、起きた時に頭が重く充分に寝た気がしなかった。ルーシーが来てからは、悩みは増えたはずなのに、体が疲れているので「これで良・・・グウ」と自分に問いかける前に寝てしまう。そして以前より、頭は気持ちよく目が覚める。ただし筋肉痛だけど。
 それにルーシーを見ると、悩むことがアホらしくなってくる。ルーシーは、フォアグラもトリュフもケーキも知らないが、三食同じものでも美味しそうに食べる。すり切れるのではないかというほど、地面に鼻をこすりつけてニオイを嗅ぎ、他のワンちゃんと走り回り、こちらを見て大笑いしている。他のワンちゃんの飼い主さんに「チューさせて〜!」と飛びつき、「キャー!止めて!」とひんしゅくを買っても、「今日も○○ちゃんのお母さんに喜んでもらえた。今日のは快心のジャンプだったし」と満足げだ。何が楽しいんだか、ボールを囓ってピーピー鳴らし、歯茎から血が出るまでロープを噛み引っ張っては喜んでいる。逆ギレしてガウガウ言った後、(あ)が「ダメじゃん」と怒っても大笑いしている。コイツを見ていると、「生きることを、もっと単純に楽しめるのではないか?」と思えるのだ。
 ルーシーを見るだに、肩の力が抜けた生き方だなぁと感心してしまう。飼い主に怒られるのは、ルーシーとてイヤなことなので、我慢していることもある。それでもストレスが貯まる前に吐きだしてしまうので、「全体的にストレスのたまらない生き方」の見本だと思う。
 以前、(あ)は一般読破率10%以下という「ソフィーの世界」や数々のハウツー物を読んだが、読後の感想は「だから?」だった。本を読むより、ルーシーを見ている方が、今まで見えなかった物が見えて、ためになることもある。
 「これで良いのかしら?」という疑問が消えた訳ではない。それでも、側にいるルーシーは(あ)を見上げ、バカボンのパパのように自信たっぷりな表情で「これでいいのだ」と言ってくれそうな気がする。