こころの薬

 (あ)の父は随分前に心臓を患い、以来掛かり付けの先生から血圧の薬をもらっている。ある日、知り合いの医者に自分が飲んでいる薬を見せたら「あぁ、こっちは精神安定剤ですね」と言われ「あのヤブ、ふざけやがって」と激怒した。「お父さん、それがダメなんだっつーの!」と、家族にたしなめられ、父はブツブツ言いながら、今もその薬を服用している。
 父ほどではないにしろ、動物だって破壊傾向があったり、不適切な行為や、酷い場合は自傷行為をすることがある。ロサンジェルス・タイムズ紙の記事によれば、最近、獣医がペットに抗うつ剤を処方するケースが増えているそうだ。ある獣医によれば、5年前は、抗うつ剤を処方した患畜が全体の1%以下だったのに対して、今では8,000匹の猫や犬の5%に及ぶという。
 たとえば猫が尿をまき散らすスプレー。ある飼い主が「スプレーする猫を試験に募集」という新聞広告を見て、これに応募したところ、二週間で飼い猫のスプレー行為がぴたっと止まったそうだ。処方されたのは、なんとプロザックだった。不安や恐怖、ストレスを和らげるのに効果があるらしい。5年を経た今も、この猫は一日一回、プロザックジェネリック薬品であるフロクセタインを服用しているという。
 アメリカで抗うつ剤をペットに利用するケースが増えている要因のひとつは、飼い主が高い治療代を喜んで払うことが挙げられる。ペットは家族の一員だから手放すことは考えられない。それでも、スプレー行為が酷い猫と一緒に暮らすのは耐え難い。
薬でなんとかできるものなら、そちらを選ぼうということらしい。
 抗うつ剤の処方については、獣医の間でも意見は分かれているらしい。体や脳に原因があるかどうかを見極めてから、向精神薬などを利用した薬物療法と共に、行動改善の努力を勧める獣医もいる。
 「薬では、そう簡単に治せません。」という獣医もいる。「動物の行動の大半は正常であって、人間にとって受け入れられないだけなのです。行動改善の努力なしでは、効果がありません。」
 「わずか20年、30年で動物の気質や性格、行動は大して変わらないけれど、人間の社会は大きく変わります。30年前に家の中で猫を飼い始め、今や多頭飼いも珍しくありません。20年前はコロラドの牧場にいたボーダーコリーも、今はサンフランシスコのダウンタウンに住んでいます。犬種本来の行動を、そこでできる訳がないのです。」
 確かに、そのとおりだ。すべては人間のエゴで、動物を飼うこと自体がエゴなのだ。だが、飼い主が人間らしい生活を送りたい気持ちも分かる。ペットを手放したり傷つけたりしないで、無理なく妥協できたら良いのに。家の中でも外でも、動物が人間と共存し難い時代なのかもしれない。