クリスマスの思い出

 (あ)が初めてボーダーコリーと遭遇したのは、1985年のクリスマス・イブのことである。大学生で学寮暮らしをしていたところ、親戚が集まるからと友達にマンチェスター近郊の片田舎に招待された。初めて出会ったボーダーコリーは、その家のワンちゃんだった。同居犬のゴールデンとラブは、早速飛びついて熱烈歓迎モードだったが、ボーダーだけは、なぜか遠巻きでこちらの様子をうかがうばかり。呼んでも無視を決め込んで、最後はリビングからキッチンへと逃げてしまった。
 初めて出会う友達の親戚と拙い英語で話していると、だんだん居心地が悪くなってきた。それまでに(あ)が経験したところでは、イギリス人と喋っていると、先方が大体イライラしてくる。理由は二つ。一つ目は、こちらの英語が下手なので、何が言いたいのか分からずイライラ。二つ目は、こちらが質問ばかりすることになり、それも相手には答えられないものが多いのでイライラ。ところが親戚連中は、よほど忍耐力があるらしく、全く疲れやイライラを表に出さず「うんうん、それで?」と妙に励ますように、こちらを見続けるではないか。本能的に「何か違うぞ」と感じた。
 こっそり友達に訊いたところ、この親戚連中の大半が小学校・中学校の先生だった。どおりで忍耐力がある訳だ。。一生懸命、こちらの話に耳を傾けてくれたのは、ありがたかったが、こちらの話に興味を持ってくれた訳ではなく、単に職業の延長だったのか。少し寂しく思った反面、我ながら悪童時代の本能は未だ働き続けているのだと感心した。いつまで経っても、先生は苦手なのだなぁ、やれやれ。
 夜のクリスマス礼拝に、犬以外全員で出かけることになった。車に乗り込む時、カメラを屋内に忘れたことに気が付いた。慌てて家の中に入ると、キッチンに逃げ込んでいたはずのボーダーが、独り肘掛け椅子の前に立っていた。視線は、肘掛けに置かれた木製ボウルに注がれていた。中には殻付きのピスタチオ。そして、当の本人は非常に真剣な表情を浮かべていた。
 この家の犬は「食卓には手を出してはいけない」と教えられているようで、食卓の上にあるものを一切無視していた。ただし肘掛けとなれば、話は別だ。そして食べ物らしきものがある。どうやらボーダーはピスタチオを前に「これは食べて良いのかしら?」と悩んでいたようだ。
 あまりに真剣な表情だったので、そっと家を出た。そして「ボーダーって面白いなぁ」と思った。食べ物らしきものを目の前にして、手を出そうかと悩む犬は初めて見たからだ。
 20年以上が経過して、今、ボーダーコリーを飼っている。・・・はずなんだが、どうも、ウチのボーダーはあの子と違う。コイツは外見が犬というよりタヌキだし、知能も生後8ヶ月あたりで成長が止まっている。「どうして、こうなっちゃったんだろ?」と我が犬を見ていると、犬の方は上目遣いでこちらの様子をうかがいながら、視線を避けようと移動して距離を置こうとする。自分が何かしでかして怒られるのではないかと思ったようだ。ルーシーにも悪童の本能が働いているのかもしれない。