(あ)の妄想

 ディスクもダンスも今ひとつ。おまけに3歳目前でも、未だに反抗的な性格が変わらないルーシー。そんなタヌキ野郎だが、良いところがあるとすれば、子供と仲良くできるということだろう。
 これまで幸いなことに、ルーシーは子供にイタズラをされたことがないし、クーちゃんのお兄ちゃん達や、そのお友達に遊んでもらってきたせいなのだろう。子供達は「楽しい」という良いイメージを持っている。だから散歩中でも子供の姿を見ると立ち止まり「遊んでくれるの?」と待っていることが多い。
 一般的に犬は成長とともに子供が苦手になるそうだ。子供の声は大きいし、犬の気持ちを考えずに触って欲しくないところを触ったりする。老化が始まると、犬の性格もまるくなるようで、子供を受け入れられるようになるそうだ。ルーシーとて、子供のやること全てが嬉しい訳ではない。苦手なこともあるのだが、それでもガマンしているようだ。これは、コイツとしてはかなり驚くべき事実である。ちなみに(あ)が同じ事をすると、歯を剥き唸る。なんで子供はガマンできて、飼い主にはガマンしないのか?ルーシーには、ルーシーなりの理屈があるのだろう。 
 知り合いのワンちゃんの中には、遊んでいる側で、子供が爆竹を鳴らしたせいで、今では子供が大嫌いという子もいる。子供には犬を驚かすつもりはなかっただろうから、これは本当に運の悪い出会いとしか言いようがない。その点、ルーシーは、単に運が良いだけかもしれない。しかし、この数少ない長所を活かせたら良いなぁ。

 −−−で、ここから先は(あ)の妄想である。−−−
 たとえばぁー。朝、最寄りの小学校の校門。校長先生の側で、ルーシーはきちんとオスワリをして子供達を待っている。
 グループ登校の寝ぼけ顔の子供達。始めは足取りが重いが、ルーシーの姿を見るや駆け出す。
 「おはようございます。おはよう、ルーシー」
 子供達に声をかけられ頭を撫でられて、嬉しそうに尻尾を振るルーシー。時には仲良しの子供の顔を舐めたりする。嬉しそうな子供達。

 20年後。子供達は立派な成人になり、それぞれの道を歩んでいる。その中の一人が獣医(が理想だけど)になり、小学生時代の頃を振り返る。
 「学校に通うのが嫌な日もあったけど、ルーシーに会いたくて毎日通いました。」
 そして、その子の卒業文集にはルーシーの似顔絵が。「ルーシーに出会ったから、この道に進みました。」
 今はいないルーシーをしのび、立派に成長した獣医さんの目からポロリと涙が流れる。「ルーシーに、会いたい・・・。」
 ・・・そして、メガネを押し上げて涙をぬぐう柴田○恵。

 あはは〜!
どおりでオリジナリティのない妄想だわ。「ぽ○たま」のパクリやんけ〜!!ちゃん、ちゃん

 明日は、妄想の春を漂っていた(あ)を襲った悲劇をご紹介。乞う、ご期待!