心の強さが欲しい

 夕方の散歩帰りに、自宅から目と鼻の先に住むワンちゃんと飼い主さんに出会う。ワンちゃんについては、冬に入ってから姿を見かけなかった。
 以前は庭先で我らが通るのを待ちかまえており、時折「怪しいヤツが来た」とばかりに吠えて、ママさんに「何よ、ルーシーちゃんやないの!」と叱られていた。ルーシーを♂と思っていたらしい。(怪しいし、元々♂みたいなヤツなので、吠えられてもしかたがないんだけど)ママさんの声を聞いて「な〜んだ、ルーシーか」と吠えるのを止め、ルーシーがママさんに飛びついて甘えている間、静かに見守っていてくれた。飼い主同士の話が長くなると、決まってママさんの足元に横になり、「しょうがないなぁ」と言いたげな様子で、こちらにチラリと視線を送って、長いタメイキをつく。傍から見ていても、良いコンビなのだ。
 元々、前立腺に問題があることから、動物病院とは縁が切れなかった。最近になって前立腺に癌が発見され、腹部が膨れて、全然動こうとしなくなったそうだ。癌は骨まで転移し、今では1ブロックを歩くのがやっとだという。運動しなくなったため、食欲も落ちた。問題の一つや二つが発生しても、おかしくない年齢ではあるけれど、後ろ半身の筋肉が落ちてしまったせいか、腰を下ろすのも難しそうだ。
 知り合いの別のワンちゃんも、抗ガン剤治療を受けている。薬との相性が良かったのか、以前に増して元気になった。一時期は食欲が落ちて痩せてしまったが、動きが機敏になり、声まで甲高くなって、飼い主さんは「みんなに若返ったみたいって言われるの」と笑っておられた。薬が合えば、癌の進行を止めることができる。問題は、薬の相性を確かめるには、実際に使用してみなければならず、それには体力を費やすことになるし、時間も費用もかかることだ。
 「ウチの場合は、骨の癌だから抗ガン剤は効かない癌らしいの。先生のつてで、サリドマイドを使ってるんだけどね」
 サリドマイドは人間用の睡眠薬で過去に大規模な薬害が発生し、悲劇を生んだ。その後、多発性骨髄腫の進行抑制に効果があるということで、最近では、これを特定の目的だけに絞り、厳しい条件を付けた上で、なんとか利用できないかと、一部の希望者が働きかけている。このワンちゃんの場合は、骨の癌が進行しないようにサリドマイドを利用しているそうだ。
 「幸い私が見る限り、この子は痛がっていないみたいし、先生もそう言ってたの。でも癌はジワジワ進んでるんだよね。」「正直、どこまで(治療を)したら良いのか、分からなくなってきたのよ」 抗ガン剤の場合もそうだが、サリドマイドの服用も、治療費は毎月何万円もかかるらしい。実際の効果と比べると、治療を止めてしまおうかなと思うこともあるという。
 「自己満足のためだけに、やっている感じがするの」看病疲れから出た一言とはいえ、あまりにも重く(あ)には何も言えなかった。
 そこへ、お友達のエルちゃんとママさんが通りかかった。話を聞いて、ママさんが一言。
 「なんぼかかっても、後で悔いが残らないようにした方が良いんと違う?」そういえば、エルちゃんの前のワンちゃんについて、ママさんは「『あの時、もっとああしてやったら良かった』とか、どうしても考えてしまう。」と仰っていたなぁ。ご自分の辛い経験を思い出して、仰っておられるのだなぁ。ママさんの気持ちを考えると、なんだか泣きたくなってしまった。アドバイスを受けたママさんも、「そうやね」と静かに頷いておられた。
 いつかルーシーにも何らかの問題が発生して、私らは難しい選択を迫られるだろう。私に正しい選択ができるだろうか?そして、その選択を後悔しない心の強さがあるだろうか?正直、自分に全く自信がない。コワイ。