反省その3

 (あ)が手持ちのおやつを見せても、ルーシーは指示に従わないことがあった。飼い主から与えられるおやつは、今でなくても近い将来、自分の口に入ると思っているのか。
 今でも間違いだとは思わないけれど、ルーシーに限っては、食べ物で注意を引いたり、食欲を満たしたりすることで、問題行動を完全に、また根本的に解決できなかった気がする。
叱られた後のルーシーは、(あ)の視線や近づかれることを避けて逃げ回る。かんねんすると、自分からお腹を見せて謝ってみせる。子犬の頃は、それすらなかったから進歩したと思っていたが、ルーシーにとっては単なるポーズであり、さらに叱責を受けないようにする方便でしかなかったのかもしれない。
 前回の「アイ○シュタインの眼」で、飼い主が不在の間に、3匹の同居犬が自分たちの順位付けをしているシーンが紹介された。犬達は相手を決して傷つけないけれど、本気で戦っていた。実際には、このような順位付けは毎日行われているらしい。録画を繰り返し見ると、No.3の犬は、リーダーが自分に近づいた時点で、お腹を見せていた。それなのに、リーダーは自分の娘(No.2)と一緒にNo.3に攻撃していた。No.3の何が気に入らないのか、何が攻撃の理由なのかは、分からない。順位付けの儀式には、理由が必要ないのかも。相手に「オマエは自分よりも下だ」と思い知らせるだけのために暴力をふるうことが許されるのか。人間の知らない犬社会には、かなり激しい一面があるようだ。ルーシーが、足を拭かれる度に、また自分の気に入らないことに対して、歯を剥いてみせるのは、下剋上の意思表明なのだろうか。これを言葉だけで叱って、ルーシーが止めたからといって、相手が反省し、または相手が自分のコントロールを受け入れたと思うのは、間違いなのだろうか?
 A先生に相談したところ「叱り方が優しすぎるのでは?」と言われた。「ルーシーとの関係はできあがっているのだから、叱り過ぎて悪影響が出ることはないでしょう。思い切って、相手が恐怖を感じるほど叱っても大丈夫だと思いますよ。」
 パートナーの青空ちゃんに対しては、そのようなことをしたことがないけれど、犬の性格や状況によっては、相手を傷つける一歩手前の罰が必要だと思っておられるそうだ。青空ちゃんだって、稀に目玉を食らうことがあり、簡単にキャンと鳴いたりするけれど、それはポーズであることが多いらしい。ただルーシーと違うのは、青空ちゃんは叱られて「やってはいけないこと」が理解できるし、次から同じ事はしないことだ。
 叱り方とタイミング、そして犬が理解していることを確認できるかどうか。しかし「しつけ」と「実際」では、違いすぎる。
例えば、自分の犬が他の犬に対して攻撃したとしよう。「しつけ」を優先する場合には、まず犬同士を引き離して、その場で自分の犬を叱らなければならない。自分の犬が本当に反省しているか、単にポーズをしているかどうかを見極めて、もう一度、その犬と引き合わせる。そこでケンカにならなければ褒めて、それが正しい態度だと念を押す。
 しかし、実際にはそうはいかない。まずは相手のワンちゃんが負傷していないかを確認し、必要であれば病院の手配をする。相手の飼い主さんに謝らないといけない。つまり、自分の犬については後回しにせざるを得ない。ヘタをすれば、きちんと叱る余裕すらなく、ましてや、もう一度犬同士を近づけるなどできるはずがない―――少なくとも(あ)の場合は、そうだった。
 一方、先生からも「ボコボコにする」という言葉を耳にする。一体「ボコボコって、どの程度?」と訊くと、「本当に必要な場合は、何回も投げ飛ばしたり、蹴りを入れたり・・・でしょうか」。
 (あ)は自分のポリシーとして、ボス風を吹かせることや、相手を傷つけることはしない。それは犬に対しても、そうありたいと願ってきた。しかし、こうなったら、選択肢はないかもしれない。徹底的にルーシーの反抗心の芽を摘むつもりで、頑張るしかないと覚悟を決めた。
 ところが、事がここまでになってしまったのに、(た)の態度は煮え切らない。未だに「僕は、N先生のやり方(100%の陽性強化)の方が良い」などと言う。問題の重要性を理解していないのか、理解しようとしないのか。こちらが、ともすれば折れそうになる心をむりやり奮い立たせて、やりたくもないことを頑張ろうとしている横で、意欲を挫くようなことを言う。
 この問題に関しては(あ)は、独力でなんとかしなければならないようだ。