自動切り替えスイッチ

 この2日間は、神戸へ通った。昔の同僚Jが急遽10年ぶりに来日したからだ。Jは、現在2歳半の子供がいて2子目を妊娠中。「よくも、そんな状態で海外旅行なんぞするもんだ」と呆れながらも、相変わらず精力的な彼女に会えて嬉しかった。
 Jは中国系のカナダ人で、ダンナさんはアメリカ人。彼女は日本から帰国後はソーシャルワーカーの仕事をしていたが、その後結婚して職を離れ、テキサス州に住んでいる。今回、ダンナさんの出張に同行して来日することになった。
 再会には、他の同僚2人も駆けつけた。一人は、日本人で中国語(北京語)の通訳・翻訳をされているMさん、もう一人は日本人で英語の翻訳をしながらパラリーガルとして勤めているKさんだ。「昔の職場みたいに日本語と英語が飛び交うんだろうな」と思っていたら大間違い。Jが2歳半の息子と広東語で話していたからだ。
 Jとは昔、一緒に台湾へ旅行したことがあり、英語が通じなかった時、彼女は広東語で現地の人達と話してくれた。Jが広東語を話すのを初めて聞いたので、こちらは大変驚いた。「スゴイ〜!貴女、広東語もペラペラなのね」と言ったら、恥ずかしそうに「中国にいたのは5歳までだし、その後はカナダへ行ってしまったから、私の広東語はあんまり上手くない」と笑っていた。それでも両親とは広東語でコミュニケーションをとるので、全く不自由はないらしい。
 Mさんは生粋の日本人だけれど中国残留孤児だ。両親と別れたのが12歳。それからは中国の養父母に育てられたので日本語も中国語もペラペラだ。頭の中で、自分でも無意識のうちに日本語と北京語のスイッチが切り替わる。昔ある電話番号を教えてもらった時に、最後の4桁が中国語になっていて「ゴー、ロク、ナナの*$#@(中国語で数字を読んでいた)と答えられた。こちらが「え?何番ですって?」ときき直したところ、本人は全く気が付いていなかった。残念ながら北京語なので、Jの広東語は全く分からないという。
 Kさんは、(あ)の後任だが、ずっと若くて格段に優秀である。今は専門性を高めるために日本の法律を学んでいる。訊けば最初にアメリカに渡ったのが10代半ば。何回かアメリカと日本を行き来した経歴を持つ。
 日本人3人は、口をポカンと開けて親子を見守っていた。
 わずか2歳半でお父さんとは英語、お母さんとは広東語。ちなみにミニカーで一人遊びをするとき、母親にワガママを言うときは英語。時々テキサス訛りが出る。お父さんはテキサス出身だけど、あまり訛りがないらしく、時々会う祖父母から自然に身につけてしまったらしい。驚いたのは、本人が英語で喋っている、広東語を喋っている、テキサス訛りで喋っているという意識が全くないこと。また、広東語の中で英語が混じることは非常に稀だ。Mさんの無意識に切り替わるスィッチを複数持っているかのようだ。
 言語習得には15歳くらいまでが適しているというけれど、やはり年齢が若ければ若いほど、複数の「自動切り替えスィッチ」を持てる可能性があるのだろう。今の彼は、乾いたスポンジのように、どんどん情報を吸収している段階だが、大人のように多すぎる情報に混乱をきたすことはない。理解できない事の方が多いけれど、それがストレスにならない。だから素直に自分の中にどんどん採り入れられる。彼を見ていると「子供は、すごい可能性を持っているのだなぁ」と実感した。
 ちなみに(あ)が初めて海外へ行ったのは20代。スィッチを身につけるには遅すぎた。恥ずかしながら「英語で話すぞ」「日本語で話すぞ」と意識しなければ話せない。
 ちなみに、この子が数時間(あ)と遊んでいる間に覚えた日本語は「つかまえた!」だった(爆)。