キュウリと夫婦とルーシーと

 (た)が、ルーシーが寝る前に帰宅。(た)が食事する間、ルーシーはテーブル下で監視作業。(た)はよく食べ物をこぼすのか、上から落ちてくるものを逃すまいとスタンバッている。先ほどまで「眠い〜」とグズっていたのに、食べ物が側にあるとなるとシャッキリ起きてしまう。こういう時は「ルーシー、ネンネだよ」と声をかけても「いえ、私はお仕事中ですから」と真剣な顔で空中を見つめるだけで、そこから動こうとしない。
 一体、何のお仕事なんだか(笑)。

 ふいに(た)が(あ)に向かって
 「これからキュウリは切らずに出して」と言った。
 訊けば、サラダの「キュウリがパサパサで、とても食えたもんではない」と言う。確かにキュウリは今日買ったものではない。今日も買い物に行ったが、地元の野菜を置いている店は定休日だった。それでも、今日使ったキュウリの2本中、(あ)が古い方を食べ(た)には新しい方を出した。料理したのは夕方だし、この季節は食中毒が怖いから、空気に触れた状態で放置することはない。つまり、こちらの落ち度でパサパサになるはずがない。
 「じゃあ、食べてみろ」と言うので食べてみた。自分が先ほど食べたキュウリより、ずっとマシだった。
 (た)の母は実家で野菜を作っている。獲りたての野菜が食べられる環境だ。そのレベルを我が家で求められても、キュウリを自分で作らない限り、応えることは無理だ。
 実は、(あ)は(た)に対する憤懣が貯まっていた。栄養を考えて食事を作っても、好きなものだけ食べて、残りを捨ててしまったり、茹で方が硬いというので柔らかくしたら文句を言われたり。かなり(た)に合わせてきたが、もう限界である。
 「そんなに口に合わないんだったら、これからは外食するか、お義母さんのところで食べてきたら?」
 「私はご飯を作らなくても全然かまわないから」
 こう言われて(た)は「いや、これはキュウリ自体の問題で、アンタの問題じゃないことは分かっているけど」「大抵美味しく食べてるし」とモゴモゴ言い訳を言っていたが、こっちが問題視しているのはキュウリじゃない。

 問題は、他人様が作った食べ物に対するアンタの態度だ!


 キュウリをめぐり夫婦間に険悪ムードが漂う中、ルーシーは・・・。

 「それなら、私がキュウリ食べる!」と足元で熱烈アピール(爆)。

 普通、夫婦が口論したら止めに入ったり、その場から逃げたりするんじゃないの(笑)?


 ま、オチはともかく――。


 人間は、誰しもそれぞれに好き嫌いはあるし、好みの味や食感はある。口に合わないのなら食べなければ良い。その代わり、口をつけたものは全て食べるべきだ。一品のなかの好きな部分だけ食べるのではなく、その一品に全く手をつけない方が、まだ失礼ではないと(あ)は思う。他人が育てた食材を使って、他人に作ってもらったものを食べるのであれば、これらの人々に対する配慮があるだろう。「いや、感謝している」と慌てて付け加えても、上っ面を繕ったに過ぎない。どんなシツケをされてきたのか知らないが、そんなシツケはロクなものではない。
 最近の学校では、給食で食べられないものは残して良いことになっているらしい。昔は、すべてを食べるまで机から動くことが許されなかった。友達がみんな運動場でドッジボールに興じている間、独り居残りを命じられ、泣きながら牛乳を飲んでいた子もいたなぁ。
 さすがに、これは行き過ぎだと思う。しかし食べ物に対する感謝の気持ちがあるなら、それを示す方法は、給食のおばさんに「母の日だから」とカーネーションを贈ることではない。まずは、食べ物を残さず食べること。食べられないのであれば、最初から牛乳を手にとらないことだ。量の問題なら少なく盛れば良いではないか。
 間違ってるだろうか?