単身赴任の顛末
去年のルイルイ終了後。(た)が済まなそうな顔をして切り出した。
「来年から転勤することになったんですけど・・・」
・・・はぁぁ?!
サラリーマンたるもの、いつ転勤や出向があってもおかしくはない。営業担当は、日本国中はおろか、単身赴任先から海外への転勤という漂流パターンもあるらしい。(た)については、事実、これまでに何回か国内転勤のハナシは出ていた。最終的にはなくなって、ずっと関西にいる。それでも50才を過ぎて転勤とは全く予想外。転勤先は東京、期間は2年くらいとのこと。
・・・マヂかよ〜!?
30代、40代での転勤で一番の問題は子供のことだろう。我が家には、その心配はない一方で、親の問題がある。(た)の母は子孝行で、普段から健康に気をつけてくれているし、まず大丈夫だろう。問題は(あ)の両親。平均寿命に近づくにつれ「弱ってきたなぁ」と実感していた。
そして、ルーシーのこと。
家族で引っ越すことも考えたが、我らは都会の住宅事情に疎いし、経済的な余裕もない。
(た)には、とりあえず単身赴任してもらうことに。
ともかく2年間をがんばろう。自分に言いきかせた。
数週間後、ルーシーの脾臓に腫瘤が見つかり、手術することになった。これも青天の霹靂だったけど、幸いにも良性だった。これが悪性で独りで介護をすると思うと、今でも冷たい汗が出る。
かくして、今年1月から、(た)は会社の独身寮(横浜)にお世話になり、単身赴任することになった。
こちらは基本ノーリード生活になった。お友達には羨ましがられたけれど(あ)個人は「どうかなぁ」という感じ。だって主婦として、やることは変わらないもの。それに思った以上に、お金がかかるから、節約節約の毎日。
(た)は大阪でも仕事があり、週末をかけて帰宅することが多かった。こちらはノーリードを楽しむことは少なかった。良い意味でも、悪い意味でも、新しい状況に対して順応力が低下していたようだ。
それにしても、背負っている責任が格段に違った。
親が倒れたらどうしよう?
ルーシーが病気になったら?
自分が倒れたらどうする?
常に不安だった。
特に、夏が肉体的にも精神的にもキツかった。
規則正しい生活を送り、自分とルーシーの健康状態を注意深く見守る。一日を無事に過ごすことが目標。理由を見つけては、両方の実家に連絡して様子をうかがった。本当は全員の顔を見て無事を確認したいところだけど、まだ、そこまでの余裕がなかった。
今年は自治会の役員まで回ってきた。お隣さんに担当を代わって欲しいとお願いしたが断られ、同じ係にあたった役員に事情を話しても、その場で同情はされたけど、分担が減るどころか、サボる担当者の分まで働かされている。誰も助けてくれないと痛感した。
秋が近くなった頃、(あ)の父親が原因不明の体調不良で入退院を繰り返した。病名が特定できないため、母は不安とストレスで一時的に感情的になって、父とは無関係のつまらないことで(あ)を責めた。こちらも精神的な余裕はなく、2人の間がギクシャクした。
幸い、父が健康を取り戻し、母も笑顔を取り戻した。その一方で「最悪の事態も覚悟しなくちゃいけないな」という教訓を得た。
この頃から、(あ)は一人暮らしに慣れ始めた。ルーシーも、なんとか夏を乗り切ったし、時々ダンスに誘う素振りを見せるようになった。気持ちに余裕が出てきて「遊びでやってみようか」と思うことも。
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そして10月――。(た)が再び済まなそうな表情で切り出した。
「12月に大阪に戻ることになりました」
「なにぃっ?!一体、何したん?!」←(あ)の第一声(爆)
2年といわれていたのに、大騒ぎして赴任して1年も経たないうちに戻ってくるなんて、ありえへん。
上司の定年退職が理由だと説明されたけど、そんな事は何年も前から分かっていたことではないか。(た)は2週間に1度の頻度で帰宅していたから、部外者(ワシ)が「こんなに大阪に戻ってくるなら、出張扱いで良かったんじゃないの?」と訊いたほどだ。
転勤させたものの、あちらで使い物にならんことが判明したのか、それとも不祥事を起こしたか?
妻と犬から疑惑の眼で見つめられて、(た)は「何もしてないってば!!」と言い続けている。