9才の春によせて

 ルーシーが9才になった。人間に換算すると52才。とうとう(あ)の年齢を超えてしまった。
 誕生日を迎える度に、最近の一年間を振り返ってきた。時間の経過が、イライラするほど遅く感じたこともあったが、今では、容赦ない速さに思わずタメ息が出る。そして、いつの頃からか振り返ることが少々辛くなってきた。
 若い頃の変化は、少なくとも体は健康だった。ルーシーの精神的な成長(後退?停滞?)を確認して、喜んだり、ガックリしたり。昨今の変化は、否が応でもルーシーの老いを感じさせる。犬生の終盤に向かっていることを実感する日々。

 ・・・暗くなってしまった。その他のことについて書こう。

 ルーシーは元来、強欲なヤツではあったが、最近ますます食欲が強くなった。食べ物絡みで他のワンちゃんとトラブルにならないように気をつけなくてはならない←(た)への業務連絡(笑)

 目や耳は今のところ問題はないけれど、ニオイに固執するようになった。しつこく地面などのニオイを嗅ぐ。春になって外に出るワンコが増えたせいもあるだろうが、ブタ鼻になるほど地面に鼻を押し当てて嗅いでいる。

 こちらが、ものすごく叱ることは減ったと思う。1年前は謝るポーズはしても反省しなかった。「ちゃんと謝れ」と言われても、歯を剥いたままで、文句を言いながら謝っていた。
 今では--文句を言うところは変わらないが−手っ取り早く謝って、こちらの機嫌をとろうとする。自分が謝ることで、こちらの機嫌が直れば、自分の要求が通るとでも思っているのか?

 (あ)の考えや表情を読むのが速くなったのは、プラス方向で考えれば、9歳にして、ようやく知恵がついたと言えよう。その一方で「謝る」という行為自体を理解していないことに気が付かされる。

 最たる例は、謝らなくて良い場面で謝ることだ。たとえば、いつものパターンと違う指示を出された時。
 おやつ入りのコングとオモチャを30cmほどの間隔で置いて、ルーシーに「オモチャ、持ってきて」と命じる。オモチャを持ってくれば、コングも与えようという遊びだ。
 ルーシーは一旦オモチャの方に行こうとするが、コングの吸引力的な魔力に負けて、コングにマズルを向ける。そこで(あ)が「違うよ」と声をかけると、コングもオモチャも残したまま、(あ)のところに戻ってくる。そして「ゴメンなさい」と謝るのだ。そこは謝るところじゃないのに。
 「ゴメンナサイは要らないよ。オモチャだよ。オモチャ、持ってきて」と声をかけると、オモチャにもコングにも行こうとしない。(あ)の足元で執拗に「ゴメンナサイ」を繰り返して「行けません」と言う。
 埒が明かないので、コングを机の上に置いたら、ルーシーは指示に従ってオモチャを持って来る。だけど、コングを置くと「ゴメンナサイ」が始まる。
 屋外では、食べ物を使ってマテ練もするし、食べ物を置いた方向に走らせて、到達する手前でストップをかけてトリックをさせたりもする。間違えば「違うよ」と指摘されるのは同じだ。これらの練習と、コング&オモチャの遊びと、一体どこが違うんだ?

 9年間の付き合いで、ルーシーのことが随分理解できるようになったと思っていたけれど、実は違うのかもしれない。ルーシーは犬生の終盤に向かっているというのに。ルーシーは、(あ)の機嫌くらいは読み取れるようになったのに。この先、(あ)が本当に理解できるようになるんだろうか?
 昔、ルーシーは「コマンドの世界に生きている」と言われたことがあった。その時は「コイツはこういう性格だし、コマンドを出されても自分に都合が悪けりゃ無視するんだから」と自らを納得させた。
 しかし、相手の顔色を窺いながら、自主的に選択しない一生は、果たして犬として幸せといえるのだろうか?残された時間は限られているというのに、このままで良いのか?
 最近のルーシーのことを考えると、心のどこかがチリリと痛む。何をどうしたら良いのか分からない。なんだか飼い主として自分の『伸びしろ』がない事実を突きつけられている気がする。
 チリチリとした痛みは日に日に強くなる。これまで、多くのお友達や先生、先輩飼い主さん達に助けてもらってきた。助言や励ましをいただいた分、ルーシーは幸せにならなきゃいかん。
 考えろ〜、自分!