”let it go”するのか?

阪神の震災から20年。早いような、遅いような。
今年で(あ)はフリーランスになって10年目。昨年の大掃除で、たまりにたまった原稿類を大量に処分した。
それでも捨てられないものがある。
捨てちゃいけないのか、捨てられないのか、自分でも分からないけど。

でも、20年を経て判ったことがある。
やっぱり震災の記憶は、“let it go”(=過去のものとする)しちゃイカンのだと。

だって続いているから。神戸の体験は、新潟や東北に活かされているから。
そして、おそらく今後も―――。あって欲しくはないけれど。

神戸の時は、自衛隊の出動も、海外からのレスキューの派遣も遅かった。消防車は断水で機能せず、隊員の方達が泣いておられたもの。病院も、被害の規模がつかめず、トリアージのしようがなかったもの。
救援物資の衣類だけでも「新品、新古品かクリーニングしたもの」なんて指定はなかったもの。
仮設住宅だって、工事現場の事務所用だけ。新品でも耐用年数は3、4年と言われていた。断熱もなく、無理やりトイレや上下水道施設をくっつけた。人間が居住するためのものではないものに、10年近くも住まわせることになってしまった。
少なくとも、神戸の失敗や準備不足は、その他の地域で繰り返さないで欲しいと思う。

東北の被災者の皆さん−−−。
震災で、いろんなものを失った人達には、おそらく、これからが精神的に辛い時期だと思う。
これまでは、生命を守ることや、自分の生活を立て直すので必死だったろう。それが少しずつ周囲が目に入るようになる。
遅々として再建が進まず、怒りがこみ上げたり、焦りを感じたり。自分だけが取り残された気分になったり、孤独を噛みしめたり。
皆さんだけではない。神戸も新潟も同じ経験をしている。
自分の中に抑えなくても良い。思い切り吐き出せば良い。
思い切り吐き出して、少しでも前向きになれるのなら。

自分が住む町のことは、行政に任せちゃいけない。住民同士でとことん話し合って具体案を作ってから、行政に渡すべきだ。住民同士での話し合いでは、自分の希望を言うのはエゴじゃない。それぞれに希望を言い合って、自分がある面で譲歩したら、別の面で優遇されるように。このような話し合いや努力は、絶対に無駄にならないから。後のコミュニティーづくりの土台になるから。

昨年ヒットしたディズニー映画。主題歌で”let it go”というフレーズを♪ありの〜ままの〜♪となっていて、かなり驚いた。正直「ええんかいな?」と気になったが「ストーリー重視の訳なんだろう」と思った。先日、戸田奈津子さんが、あれはキャラクターの口の動きに合わせた訳なのだと聞き、疑問が氷解した。

"let it go"する必要なんかない。辛く悲しい経験も、いずれ自分の一部になる。その方が、ずっとずっと良い自分になれると、(あ)は信じている。