沈黙の羊たち

 ルーシーが我が家に来た当初、庭で遊んでやると(あ)も(た)も、左足の足首あたりやパンツの膝の後ろあたりを噛まれたことがあった。ルーシーは自分がイニシアチブを執りたいと考えていた。しかし人間と遊ぶ時には、相手の言うことをきかなければならない。ルーシーは、元来反抗的な性格のため、相手のリーダーシップを認めるのが嫌で、認めざるを得ない場合にはフラストレーションがたまる。フリスビーやボールで遊んでいると、「こっちの言うことをきけ!」と噛みついてきた。そして二人に怒られると、ガウガウ言いながら自分の尻尾を追いかけていた。つまりルーシーにとっては、我々二人は「言うことをちっともきかない羊」であり、羊の動きをコントロールする立場にある自分が、逆にコントロールされることに不満を感じていたようだ。
 それでもルーシーは、二人が出す指示の80%以上に従うようになってきた。最大の理由は、ご褒美だ。成長すると共に、どんな欲求も関心も食欲には勝てなくなってきた。おやつ、特に砂肝を目の前にしたら、今のルーシーなら魂だって売ってしまうだろう。以前は他のワンちゃんとの追いかけっこの最中は、(あ)の声など全く耳に入らず呼び戻しもきかなかった。ササミやチーズ、ビスケットまで用意していて、そのことをルーシー自身が知っていたとしても、追いかけっこでカーッと頭に血が上り、一旦スイッチが入ってしまうと、周囲の声や情報が遮断されたように、全く反応しなかった。それが少しずつ変わりつつある。
 自分が指示に従えば、美味しい物がもらえる。そして自発的に服従の姿勢を見せれば、褒められて美味しい物がもらえる。服従の姿勢−つまり伏せやお座りの体勢−をとれば、エサが出てくる。自分が指示して(あ)や(た)にエサを出させていると思えば、ルーシーのエゴも満たされる訳だ。だから根本的に「飼い主二人は羊」という点は変わっていない。
 このブログを継続的にご覧になっている方の中には気づかれたかもしれないが、ルーシーが指示に従う成功率は以前の80%から変わっていない。その理由は、ルーシーがズルを覚えたからだ。
 たとえば、サークルとクレート両方の扉を開き、「ハウス」と指示を出されたらクレートに入るのが正解だ。ところが、ルーシーはこの指示に反応してサークルに入るようになってしまった。最初はクレートの中は暑いからという理由だったと思う。(あ)も(た)も「暑いのは可哀想だから、仕方がないか」と見逃してきた。涼しくなったら、クレートに入ってくれるだろう。それに少し矯正してやれば、クレートが「ハウス」だと分かってもらえる、と。
 ところが、ルーシーはズルをしているうちに、完全に「『ハウス』と言われたらサークルに入る」ものと間違った理解をしてしまったようだ。加えて、クレートに対するマイナスのイメージが定着してしまったらしい。(あ)が矯正しようと、おやつやオモチャをクレートの奥に入れて誘っても、ルーシーは体全体を中に入れることはない。なぜか後ろ足は入り口の外に残したまま、そっと頭を差し入れ、体をうんと延ばして取ろうとする。その間、背後でドアを閉められると思っているのか、側にいる(あ)の動きを横目でチラチラ確認する。おやつやオモチャに口が届いたら、その場に留まって楽しまない。クレートから脱出して一目散にサークルに駆け込み、安心した様子で座り込む。

 昨夜は矯正練習の後「ハウス」と言ったら、ルーシーはスタスタとサークルに入っていった。(あ)が「ルーシー、違うよ。ハウスだよ」とクレートを指さすと「アウ」と文句を言う。「だってサークルで寝て良いって、お母さん言ったでしょ?だから私、サークルに入ったんだよ」と不満気な様子。間違っておいて文句を言うとは、困ったもんだ。
 ルーシーがズルをして、それを矯正せずに放っておいたから、こういう結果が生まれたのだ。そう考えると、ルーシーのズルは飼い主のズルでもある。その点を指摘されたら・・・私ら羊たちには返す言葉がおまへん。